いつもの場所のその先で

オタクだけど、毎日をすこやかに過ごしたいんです。

嵐が更新されない2021年

あけまして2021年。嵐が更新されない世界がやってきました。

20年以上嵐を応援する生活を続けていたので、それがぷつっとなくなるのかと思うと不思議な感覚です。それゆえ、今も悲しいとかそういうのがうまく感じられません。あるときふっと寂しくなるし、まだ嵐の音楽をイヤホンで聞く気分にはなれないから、それなりに悲しみはあるのだろうけど自分の中で処理しきれていない感じがします。

晦日のライブはとてもとても素晴らしくて、一曲一曲の歌詞に込められているメッセージが一言一言胸に刺さって今もそれがうずいているみたい。あんなに歌番組でも歌いまくって正直飽きたなとさえ思っていた『Happiness』さえ、じっくり歌詞を追うとこんなにもメッセージ性が強い曲だったのだとお正月に口ずさみながら驚きました。

思い出の後先を考えたら寂しすぎるね
騒がしい未来の向こうできっと待ってるから

これまでの嵐と、そして嵐に重ねた自分の人生を振り返るとたしかに寂しくなるけれど、今を動かす気持ちを止めずに明日を迎えに走り出していれば、きっと未来の向こうでまた会えるんじゃないかな。

1曲目のワイルドアットハートの歌詞も言葉にあの日の嵐の背景を足してしまったら大きな意味が生まれてしまっていて、これ以上にない旅立ちの歌になっていたなと振り返って思います。

個人的に一番感情が揺さぶられたのは、『台風ジェネレーション』から『PIKA★★NCHI DOUBLE』の流れ。わたしが嵐を好きになったころの曲で、だけど嵐は全然売れなくなっていってもがいていたころ。そのころから台風ジェネレーションが大好きだったんだけど、わたしが嵐のライブに行けるようになってからは見ることが少なくなっていた曲。ましてやフルでやってくれることなんてこの先ないと思っていたというかもう意識の外にさえ置いていたから、このタイミングで最後の日に大きな意味をもたせて歌われたらもうだめだよ〜〜〜〜〜〜!泣いちゃうに決まってるじゃんか〜〜〜〜〜!!とぐすぐすしていました。今も泣ける。

ピカダブもさ、もうヘリポートが現れたときにPVじゃんか〜〜〜〜!ってそのまま懐かしさと演出への称賛と台風ジェネレーションの余韻とで感情ぐしゃぐしゃになったよね。

そこから最後までは曲を楽しまなきゃ、歌って踊って楽しそうな嵐を目に焼き付けなきゃ、一言も聞き逃さないようにしなきゃ、と今そのときを精一杯見ていたから正直あまり記憶がありません。一生懸命覚えていなきゃと思ったのにね。

最後の挨拶、翔さんは真面目にだけど笑いも含めていて、努めて明るく気丈に振る舞っていたのだと思います。なのにさ、最後の最後、本当に最後に一筋だけ涙流すとか、めちゃくちゃ櫻井翔だなって。しかも隣の相葉さんにも気付かれないようにしっかり前だけを見ていて。4人の意見の落とし所をずっと探していたと言っていた翔さんが、やっと自分の感情を表に出してくれたというか正確にはこぼれ出てしまったんだと思うんだけど、そういう翔さんが、5人といる翔さんが見れて正直なんだかとても安心しました。

一方でそんな翔さんを見たことで心が落ち着かないところもあって、今夜のnews zeroで生放送の翔さんを見れたらやっとわたしは12月31日を少しだけ昇華できるんだと思います。

もちろん、これから先も会報が送られてきたりNetflixが更新されたりすることで12月31日の答え合わせを少しずつすることができるとは思うんです。でもそれは過去の話。これからしばらくは新しい嵐が更新されない世界を生きなきゃいけなくて、それがどんな世界なのか20年も嵐のいる世界を生きてしまったわたしにはもうわからないんです。だから嵐のいない2021年を、その先も1分1秒を積み重ねていくしかない。

でもその時間を積み重ねた先でまた嵐に会えるといいなと思っています。

 

まずは、嵐のみなさん、そしてスタッフのみなさまありがとうございました。とても楽しい大晦日であり、21年間でした。また会えたらうれしいです。

 

ライブの内容は、またリピート配信を見て思ったことがあったら追って記事書こうと思います。