いつもの場所のその先で

オタクだけど、毎日をすこやかに過ごしたいんです。

オタクに降り注ぐ年齢の呪い

ついにアラフォーになったわたしです。よろしくどうぞ。

いやあ、年齢って本当になんなんでしょうね。私自身はそこまで年齢を気にしていないつもりなのだけど、アラフォーになった今、実年齢を言ったら自分より若い年齢の人たちに気を使わせてしまうかも?なんてこと考えちゃう自分がいます。

年齢といえば、先日Twitterで「スノ担に年齢制限は無い」というタグが話題になっていました。概要としては、年齢を重ねたファンがこのタグを使って推しへの愛を叫んでいた様子です。正直、わたしはこのタグの投稿を見ながら苦い顔をしてしまいました。

今日は自分がどうして苦い顔をしてしまったのか、自分の感情を分析していこうと思います。

前提

まず言っておきたいのは、自分が好きなものは好きでいいし年齢なんてまったく関係ないと思っています。好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたいです。

それと、今回のこの文章は自分の分析のためのものであり、そのタグを使って愛を叫ぶ人自身のことを否定する気持ちはありません。当ブログは以前より書いている通り、すこやかなジャニオタ活動を目指しています。そのスタンスや推し方は人それぞれ、解釈の仕方もそれぞれあり、自分がすこやかに過ごせるジャニオタ活動をすればいいというのがわたしの考えです。

それではここから、わたしの感情分析に入ります。

20代のわたしが感じていたこと

わたしは2000年のころから嵐を応援しています。中学生のころからです。みなさんご存知のとおり、嵐は全然売れないと言われる時期を経て、2007年頃から2010年頃にかけて急激に人気になり、露出も増え、新しいファンを獲得し始めます。このころわたしは20代で社会人になっていました。Twitterが普及し始めたのもこのころです。

そのころ40代の新規ファンの数人と知り合ったのですが、その人たちのスタンスが自分とはあまり合わず少ししんどい思いをしていました。

具体的に言うと、こんな感じです↓

・どこかいつも図々しい
・周りが見えていない感じ
・「若い人はそうよねー」で一蹴される
・推しを自分だけのものとして解釈している
SNSがうるさい

20代のころのわたしは周りの年上のオタクのこの(痛いともいう)感じが苦手で、自分が年齢を重ねたら絶対にこうはならない!むしろオタクを続けていきたくない!とさえ思っていました。

30代の今、思うこと

しかしです。30代になった今もわたしは広い意味で言えばジャニオタだし、上記のような感じの人たちを見ると強い違和感を覚えます。

つまり、年齢を重ねた結果ではなく、そもそものスタンスの違いが問題なのではと思い始めました。

そう考えるとあのころのわたしは総じて『でしゃばる新規ファン』のことを苦手だと思っていました。今の自分さえ楽しければいいようなマナーの悪さだったり、過去からつながる今という流れを無視して自分が一番推しを理解していると我が物顔でいたりする人がやけに目に付いたから。その中でも一番近くて目立っていた知人たちが40代の人だっただけで、思い起こせば友達の友達(同年齢)にも同じような人がいたし、やたら絡んできてチケット一緒に取ろうとしてくる人と「近づかないでおこう……」と距離を置いたこともあります。

自分のスタンスとは違う推し方でグイグイとこちらに詰め寄って来られたり、自分の気持ちをないがしろにされることが嫌だったんだろうなあと振り返って思います。

あれ?そうなるとやっぱり問題は年齢ではないのでは……?

とはいえ若い人からすると自分と違う特に上の世代からあれこれ言われることやスタンスが違うことをされると激しく抵抗したくなる気持ちもわかるし、年齢を重ねた人が自分より若い人に引け目を感じる気持ちもわかります。わかる、わかるんだ。

でもここで年齢を持ち出してしまうと、年齢セグメントで話をする違和感ある人と同じになってしまう気がするのです。好きなものは年齢関わらず好きでいいと思っているから、やっぱり、年齢で話をするのはちょっと違う気がする。

ギャルでもおばさんでもおばあさんでも

少し話は変わるけれど、先日『松本潤 生配信』のときに、潤くんがメタバースの話をしたんです。「メタバースって知ってる? 嵐の何かで使おうとしたらみんな興味ある?」みたいな話をしたときに、「おばさんでも大丈夫かな」とコメントがついていたんです。

若い頃のわたしだったら「おばさんとか言って気を引きたいのかな」とか「自分からおばさんだからとか、いちいちなんなの」と思っていたと思うんです。でもこのときは「ああ、この人は普段の生活でだれかにおばさんだと言われて生きているのかな」とか「おばさんだからわからないでしょとか言われているのかな」と思ったんです。

要は、普段の生活で「おばさんである」と卑下されている、年齢の呪いをかけられて自分にもかけているのかなと。

おそらくそういう場面はよくあるだろうし、ああもうこれはわたし一人の手では負えない社会的な問題なんだろうなあ。おばさんでもおばあさんでもおかあさんでもギャルでもティーンでもキッズでもなんでも、好きなものは好きでいいし、興味あることは興味あっていいじゃないかああああああ!

年齢の呪いを解くには

ということで、やっぱり好きなものを好きでいることに年齢は関係ないと思います。

スタンスの違いは仕方ないので、適切に距離を保ちながら推しを推していくしかないのかな。とりあえずのところ。自分がすこやかでいられるための推しだとわたしは思うので。(でもしんどいよね、推しのことは好きだけど推しのことを好きな人のことを好きになれないのって。このあたりは年齢の話と外れるからまた今度書きます。)

年齢の呪いを解いていくには今を生きるわたしたちがそれに気づくことからしか始まらないので、これから年を重ねる人たちがよりすこやかにオタクができる未来になるようなオタクでいようとわたしは思いました。

 

というところで自分の考察を一旦閉じます。読んでいただきありがとうございました。